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2017年10月15日日曜日

腕木式方向指示器13

JIS規格ではD5702に自動車用腕木式方向指示器の項目があり、写真の物は昭和32年改正版ですが、昭和26年10月31日に制定されてるようです。
D5702は昭和46年10月1日に廃止されてますが、その間何度か改正があったとおもわれます。



ネームプレートにも描かれてます。

本体に誇らしげにプレスされてるものも。

ニッポーの指示矢も認定後はJISマークの刻印が追加されてます。
アポロのネームプレートにもマークの表示はありますが、同時期の製品にも有無が混在してたり、後期の生産分には付いてなかったり、不明な点もあります。詳しい事情はわからないので、掘り下げるのはやめときましょう。



昭和29年頃の雑誌広告、JIS規格品を主張してますね、信頼の証なんでしょう。




細かい字が見えづらいかもしれませんが全文を掲載しときます。

腕木式方向指示器は昭和48年7月の運輸省令23号「従来の腕木式…中略…方向指示器は点滅式に統一する」で廃止されてますが「昭和48年11月以前の生産車両については腕木式方向指示器を認める」の一文もあり、今でもそれに該当する車種は腕木式のみでも車検に通ります。

2017年10月12日木曜日

腕木式方向指示器12

日産のネームプレートが付いてるアポロ製大型機械式です。
一般のアポロ製は背面に製造年月が刻印されてるのですが、これらには刻印が無く製造年不明です。
外見から推測すると、昭和27年以前の製造は間違いないでしょう。
カタカナ表記の方は背面に76、86と刻印がありますが、製造年月とは関係無いようです。



ローマ字表記の方は塗り重ねてますが、地色は共にカーキ色です。

キャップの裏面はオリジナル色が残ってます。
カタカナ表記とローマ字表記、新旧については判別しにくいですね。
戦前のニッサン80型トラックのカタログにはどちらも使われてます。昭和13年頃以降のカタログには時節柄かカタカナ表記になってます。
戦後、社紋としてはローマ
字に移行してますが、昭和30年代になってもカタログのニッサントラックなどの文字は独特の字体が使われてます。
           

2017年10月8日日曜日

腕木式方向指示器11

電気式の大半はソレノイドコイルを使ったものですが、モーターの正逆転を利用したものもあります。
メトロ工業が昭和28~38年に製造したもので、製造時期により指示矢の色やプレスの細部に違いがありますが、ケース長さ約230mmの同一タイプのみです。
アポロ大型よりやや小振りです。
電圧は6、12、24Vあります。
時代を感じさせる当時のパンフレット



上から下へと新しくなります。
緑色のも製品の地色は同じです。
写真では分かりにくいですが、初期のものはリブが中央にあります。
指示矢の色が赤からオレンジに移行するのは他社にも同じ傾向にあります。

細かく見ればキャップの長さも変化がありますが、時期的なものかは不明。

モーターの色は他にもあり、電圧とは無関係のようです。

駆動部はこんなんで、ギアボックスはカシメで密閉されてます。
圧着によるクラッチ機能があり、上げ下げ位置で急停止してもギアの歯が痛まないようになってます。


3ヶ所ある接点は指示矢側の接点と巧妙に接触し、指示矢の上げ下げ定位置の寸前に接触が外れモーターへの給電が止まって惰性で定位置に収まるようになってます。
ギアの抵抗力で、指示矢はそれぞれの位置に止まってます。
また、指示矢側の銅の丸い接点は上げ位置で通電して点灯するためのものです。



2017年9月22日金曜日

阪神の旧線跡 2/2

そして、さいきん、もう一箇所、気になる旧線跡を見つけました。
神戸市の春日野道付近地図上で気づいたのですが、概ね方眼の区画になっているなか、一部に斜めの道が走っています。
それを見たとき、神戸市内地上線だった時代、終点三宮駅の手前で線路が斜めにクランクしていたことを思い出しました。
生田川のちょっと東、春日野道-新生田川(新川、生田川との表記もあり)間です。照合すると、まさにぴったりその位置です。
いちおう現況も見ておくべきと、現地へ行ってみました。

目標の斜め道は、大安亭市場を横切っていることから、大安亭市場から接近することにしました。
意外なほどの活気と旧態に誘惑されながら南下し、到着しました。

細い路地です。北側の住宅地も線路敷地だったようです。

しばらく路地を進みます。

駐車場に当たり、すぐに東西の道路に合流します。

今来た方を振り返ります。
線路曲線の膨らみだったことが、歩道部分の幅の違いでよく分かります。

この急曲線を、ポール姿の1形〜831形あたりまでが、車輪きしませて行き交っていた!

ここから線路はまた西に向かい、生田川を渡ります。

もういちど市場に戻り、

市場から大阪方面を見ると、ここだけ、商店とマンションの境界線だけ、斜めになっています。
この先には痕跡はないようでした。

古い地図をみてみると、

阪神開業前の地図では、斜め道も、いちおう主要道のようです。
1895年発行

まだ開業前、区画整理で廃道になったのか、その道路は消えます。
1902年発行

阪神が開業、しかし当初、斜め区間は専用軌道のように描かれています。
廃道利用の軌道敷だったのかもしれません。
1913年発行

ここにきて、併用軌道として描かれるようになりました。道路の復活です。
1920年発行

路線変更し地下に潜り地上軌道は剥がされ、道だけになりました。
阪神急行はまだ予定線となっています。
1935年発行

そして現在、細い路地として生き延びています。
上記の経緯とおりだとしたら、阪神が敷かなければ、現在の斜め道もなかったのかもしれません。

阪神の旧線跡 1/2

7年ほど前、アポロ氏に解説されながら、阪神石屋川-西灘間の旧線跡を歩きました。
かの有名な、43号線に取られた線路です。1967年に移設高架化ですから、今年は旧線化50周年です。

まず手始めに、甲南漬武庫の郷という展示館に入り、甲南漬の歴史を学びました。
商売戦略上からか、展示館の出口が売店になっているので盛大に出迎えられ、
場の雰囲気からか、アポロ氏は甲南漬の何かを買っていました。

石屋川車庫を離れると、

複線幅の浜田公園になり、公園が終わると43号線に当たります。

ここから43号線をしばらく西進し、すうっと少し北向きに離れるように再び旧線跡が出現します。

公園がしばらく続いたあと、西郷小学校に突っ込み、都賀川を渡ります。
鉄橋のあった護岸の間知石積は、橋台撤去部分が白っぽく新しいことがわかります。


都賀川を渡るとすぐに、幅員の広い大石駅跡、

またしばらく複線幅の公園が続きます。

公園が途切れ、分譲住宅が建った部分のすぐ西で現本線に合流します。

YaYo氏によると、阪神大震災で高架損傷が大きかったこの区間の仮復旧に、旧線跡を利用することも検討されたそうです。
一時的とはいえ、それこそまさに復旧です。