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2015年9月29日火曜日

103系が珍しかった頃

何故か103の投入は阪和線に負けていた。

ネガの劣化で色が悪いのはカンベンな

最初に来たのがコレ
1968年頃

普通の基本の関東では珍しくもないタイプ

やっと京浜東北と山の手の中古からおさらば
これが新車の匂いか、感動したな

ブレーキシューから火花が出ないぜ




次に来たのがこのお方
1972年頃

ビックリしたなブタ鼻になっている
客室窓もユニットになってるジャン

データタイムは全て103になり、旧型国電の運用は、
午前・午後のラッシュのみとなり撮影が不便に。

何故か新製当時は応加重装置の動作音が大きかったな、
動き出すときにパシュッと




ついに来ました冷房車
1973年に関東に遅れる事無くやって来ました。

また京浜東北のお古が来たらと心配していましたが。

最初は高槻電車区に集中していたボロを置き換えるため
高槻に集中配置

行き先表示器が自動になり側面にも取り付け
ようやく使用し始めました。

結果、しばらくは朝夕のラッシュのみのお仕事。

 程なくしての改正で日中の運用も


撮影は全て大阪駅です。

ホームの縁石は御影石じゃ
今となっては珍しいのう

最後の画像よくご覧ください

電車線が、ホーム屋根の先端に取り付けられたアングルから
吊り下げられています。
変わった事してたんですよ。
トラスが無いから空がスッキリしてるでしょ。
そして
枕木も立派な木製
なんとなんと、長距離列車に給水するホースがゴロゴロ
さらに
〇〇こが落ちていないか気になります。
探したらダメだよ。

何でも無い事でも、最初の奴が来てから、もうじき50年ひぇー
白髪が増えるわけだ。

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