乗客数

2016年12月21日水曜日

神田川


1980年代の某日

神田川の橋の上で遊んでいました

首都圏では、103系も201系、もう忘れたかしら。

大阪では、ようやく・・・・・・・



103系と201系の並走、いいですね!

ブタ鼻・冷房車、晩年の標準タイプですね。



色々登場

これは後期に製造された高運転台タイプ

運転台後ろに戸袋窓が有るのでATC搭載車ではありませんね。

かぶりまくり

オットこんなものが登場。

運転台後ろに戸袋窓が無いので、

山の手線からやって来たのか
ATC機器搭載が出来る先頭車ですね。



そしてそして

201系の登場です。


最後を締めくくる。

なんとなんと、

非冷房101系も登場です。



まあ、色々

僅か1時間程で、

これだけの種類の形式が撮影出来ていた、

総武中央線普通列車の楽しい時代でしな。



いま大阪ではどうなっているの。


詳しくは

鉄犬さんの、ブログをご覧ください







2016年12月12日月曜日

昭和の遺産


京阪神急行電鉄

京阪神急行電鉄


京阪神急行電鉄



京阪神急行電鉄

見つけた

見つけた

見つけた



何だ社紋ではないか

いやいや

旧の社紋ではありませんか。




発 表


京阪神急行電鉄
マンホール


実は実話、生存しているのです。


探せば見つかるものですね。

設置の時期、用途は不明ですが、
大きさから想像すると、
電気溝かな。

阪神のマンホールと滑り止めの模様が似ていますね。








2016年11月14日月曜日

阪神のイメージ

私にとって、鳴尾こそ、阪神のイメージそのものでした。
2009.3.30
だから、高架化ときくと、あれもこれもと焦りました。
2010.2.10
鳴尾といえば、やっぱり、カーブと傾きです。
2010.7.24
鳴尾の八幡さんから見える、傾いた速い電車も素敵で、
2010.8.3
密集したジャギーな感じもまた魅力でした。
2009.2.2
威圧的な架線柱と、
2011.2.14
人と電車の近さ、
2010.8.3
雑然さ。
2009.1.9
そんな阪神を探すのも、
2010.9.14
難しくなってしまいましたね。







2016年11月11日金曜日

ナニワ工機-共通パーツ?

伊予鉄道の標識灯に親近感が湧くと思ったら、
やっぱり、ナニワ工機製の電車の標識灯は似ているのです。

1980.10.10
1959年ナニワ工機製_阪急1114
↓↑
2014.10.9
1962年ナニワ工機製_伊予鉄道68

どうみても、同じパーツですね。

あるいは、汎用品かと思いましたが、これとは少し異なるようです。
1980.10.19
1950年川崎車輌製_山陽853
当時、あこがれのガイコツテール、いちばん身近な車輌がこれでした。

つぎに、これはもう、全く阪急と同じです。
乗務員落し窓 引きツマミ!
2014.10.9
1964年ナニワ工機製_元京都市電=伊予鉄道2002








2016年10月28日金曜日

USUZIO総天然色アルバム 車両の素顔 3  高松琴平電鉄

高松琴平電気鉄道

20形 22

経歴を辿ってまいりますと。

大阪鉄道 (現近鉄南大阪線) の新造車
  • 1925年 大正14年10月 川崎造船所 製造 デロ21形 22
  • 1929年 昭和 4年 8月 大阪電気軌道と合併
  • 1943年 昭和18年 3月 関急と合併 改番 モ5621形 5622
  • 1961年 昭和36年    高松琴平電鉄に譲渡 20形 22
  • 2006年 平成18年 9月 廃車


譲渡のさい貫通扉が取り付けられ顔は随分と変わりましたが、
側面の飾り窓はそのままで、後の更新工事で無くなりました。

台車は大軌デポ61形発生品(・・?
BW78系のBW61

同時に購入した23号は、更新工事でイメージが変わりましたが、
レトロ車両として現役です。

23号は一時期名古屋線に居たこともあり、
なんと、中京・関西・四国と渡り歩いたのですね。

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そして、あの絵が描かれた頃、この電車は南大阪線を走っていました。
あの絵って何やねん。


いま何故か南大阪線が熱い。


画像提供 養殖海坊主



2016年10月26日水曜日

USUZIO総天然色アルバム 駅の一コマ 1 京阪電気鉄道

京阪三条駅

京阪 三条駅 京阪本線 1番線


1969年 昭和44年11月までは、

脱着式車止めが設置されており。

その後は、コンクリートの壁で軌道は塞がれました。



脱着式車止め
大きさから見て、重量もありそうで
取り外しはけっこう重労働だったでしょうね。


そして

そして

右側ホームには車止めを背にした

入替信号機が設置されています。

構内踏切の先は、どこに向かっていたのでしょう。











京津線に接続されていました。

右側 6番線の先に繋がっており、
60形 びわこ号、直通運転の為に使用されていました。

1961年 昭和36年11月 直通運転終了後も、
1965年 昭和40年 頃までは、
京津線の新車搬入の為に使用されていました。


車両の解説は・・・・
次回のお楽しみ


画像提供 養殖海坊主

2016年10月24日月曜日

USUZIO総天然色アルバム 車両の素顔 2 近畿日本鉄道

近畿日本鉄道

モ5251形 5252

信貴山急行電鉄が山上平坦線開業時に製造

デ5形 7

  • 1930年 昭和 5年10月 日本車両で新造
  • 1944年 昭和19年 1月 営業休止
  • 1944年 昭和19年 4月 関西急行鉄道に合併 改番モ5252 南大阪線へ
  • 1946年 昭和21年   伊賀線に転入
  • 1977年 昭和52年 5月 廃車


台車にはレール圧着ブレーキも装備の住友KS-80L
その後TR-10に履き替え。

連結器は取り換えられ、取り付け部が不格好なのは、
台枠との絡みでこうなったのでしょうか。



車内の様子

客室窓が大きいのが特徴ですね。



山上線へは、鋼索線を利用して運ぶという、大胆な作業を行ったようです。
それにしても、山上に軌道を敷設する発想も大胆に思うのですが。


3両製造されましたが、不幸にも1両が谷底に転落、廃車となり
残り2両が伊賀線にやって来ました。


画像提供 養殖海坊主

2016年10月22日土曜日

USUZIO総天然色アルバム 車両の素顔 1 近畿日本鉄道

近畿日本鉄道

モ430形 438

奈良電気鉄道が開業時に製造

デハボ1000形 1009

  • 1928年 昭和 3年11月 日本車両で新造
  • 1963年 昭和38年10月 近畿日本鉄道と合併 改番 モ438
  • 1969年 昭和44年 9月 昇圧に伴い廃車


奈良電鉄は開業当初より、西大寺で現近鉄に乗り入れ運転を行っており、
奈良駅・橿原神宮駅までも乗り入れていました。

その後、京阪との乗り入れも始まり、京阪三条へも乗り入れ、
そして、京阪宇治へも行っていたのかな。

形式は解りませんが、枚方公園まで乗り入れている時期もありました。

多方面でご活躍でしたが、晩年は普通車での運用が多かったようです。

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奈良線・京都線の小型車について
詳しく書かれた教科書が御座いますのでご紹介。




画像提供 養殖海坊主

2016年10月21日金曜日

腕木式方向指示器10

前回から随分経ってますが続きです。
今回はネームプレートにJACと描かれたタイプ
です。

緑が12V.青が6V
24V用は見たことないんですが、何色か気になるところです。


ケース長さ245mm 
200mm の小型も存在します。

中身はこんなんです。

ロック機構は前回のRoyal と同じです。

このタイプはマイナスビス使用とプラスビス使用の製品があり、製造年月の表示はありませんが世間でプラスビスが多用され始めた頃のものでしょうね。

2016年10月20日木曜日

マスコット

随分と少なくなりましたな。

製薬会社のマスコットと言えばこのお二人。

ケロちゃん


置いてあるお店によっては可愛らしい洋服が着せられているのも見かけましたね。

サトコちゃん

小さなお子様が乗れるムーバタイプも


街中の小売店では、たまに見かけます。
皆さんも探してみましょう。

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以前こんな楽しい看板も見つけました。

薬局の定番商品ですが、ここまで堂々としたのは初めて。



2016年10月19日水曜日

USUZIO総天然色アルバム 木造客車シリーズ 1 


蒲原鉄道


左側に連結されている2軸車両の紹介

ハ1 + モハ61


形式ハ1 型  ハ1

  • 1927年 昭和  2年  9月 京浜車両工業で新造 ハニ3
  • 1948年 昭和23年11月 東京電気工業により更新工事 ハフ1
  • 1952年 昭和27年10月 改番  サハ 1
  • 1957年 昭和32年 9月 改番   ハ 1
  • 1978年 昭和53年 9月 廃車

 

196×年頃

なんと、なんと、この車両ブレーキ配管が無い

どうやって止めるんや

ちょっと驚きですが

この当時、65km以下の運転速度であれば貫通制動機が無くても
運転が可能だった時代なのです。

牽引車両が頑張って止めていたんでしょうな。

他の地方鉄道でも同様の運転が行われていましたが、

現在の規則では運転できません。

車内の様子

ダブルルーフの天井で

ロングシート、つり革、握り棒も、つり広告のフックまで付いて、
シッカリ通勤列車の様相です。

白系の塗料が塗られているのが残~念。


画像提供 養殖海坊主

2016年10月14日金曜日

そして50年後



50年後に、この様なコラボが生まれるとは、

全く予想できませんでしたね。



5550形、1編成4両のみです。

その後、普通車の増備は近畿車両ですので、

この4両で終わりそうですね。

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おまけ
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この編成は、武庫川車両製




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これは、川崎重工業製



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それぞれどこが違うのかって・・・

音が違うんですよ。


国鉄コンテナ



製造期間は、1966年~1969年で、見かける数も随分と少なくなってきました。

C10の製造個数は約15、000個で、この時代最多の個数でしたが、

これよりも古い設計の6000形は、1971年まで製造されていました。

 (・・? なんで

C10は、歪に弱く、扉が開かないトラブルが有ったそうで、
鋼体がシッカリしている6000形の方が安心みたいだったそうです。


個体番号が、No14060なので、ほぼ最終増備のグループみたいです。

JNRと国鉄の表記が塗りつぶされているのは残念 。


扉を開けるとヒンジがちぎれそう。

まだ、使用しているのでしょうか。




残念ながら製造所名板は見当たりませんでした。


最後に、昭和のコラボをお届けします。






2016年5月


何処にあるの。

彼に聞いてみな







お待ちしてるニャン




追伸

岐阜のC12は、元気にしているのかな。